NHK問題〜公共性と議論
2007-01-31


NHK問題武田徹著,ちくま新書)

通勤時間と週末を利用して10日ほど前に読み終わったのですが,感想をアップしそこねているうちにバウネット対NHKの事件の判決が出てしまいました。

本書はNHKが公共放送と言われていることの意味を追求した本で,とても刺激的な本です。

著者は「公共」について,ある特定の利害関係を有する人々の間の「共同性」から解き放たれたものであるべきものとしています。

公共という場合,日本では従来,国や「お上」がやることと同一視されることが多かったように思います。しかし著者は,そのような実質を持った「公共性」は,一定の利害を共にする人々の利益を図るものであって「共同性」の中に閉じこめられたものにすぎず,真の公共性は外に開かれたものでなければならないと主張しています。

このような公共性のあり方を日本国,政府もしくはNHKという組織内部の「共同」の利益の中に閉じこめてしまおうという,政治家(具体的には安倍首相)やNHK幹部の意向が裁かれたのが1月29日の東京高裁判決だったのでしょう。

しかしこの判決に臆することなくNHKは安倍の「この判決で、政治家が介入していないということが極めて明確になったと思う」といった発言を垂れ流しています。組織のメンツ維持の論理を優先し,権力者に阿るNHKの姿勢に本書の著者が失望する(著者の日記(1月29日付)「ETV2001判決と安倍」)のも当然でしょう。

ところで「公共性」が開かれたものであるといっても,ではそれを誰が決めるのか?という問題は残ります。結局上から押しつけられるにすぎないのではないか。この点について著者はNHKに現に存するある組織に,議論を通じて公共性を絶えず紡ぎ出していく場としての希望を見いだそうとしています(上記日記では当該組織への失望感も表明されています(1月16日付)が・・。)。

弁護士会でも近時「公益」ということがやたらに強調されるようになっていますが,「公」というのは,公共放送の「公」に限らず,それにかかわる個々人同士の議論によって紡ぎ出していくものであって,特定のものを「公共性あり」とか「公益活動である」といって押しつけるものではないだろう,特定のものが「公共」「公益」の名の下に持ち出されるのにはやはり警戒すべきだ,そうした感を強く持ちました。

[人権]

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