行政サービスとしての人殺しを求める人たちを生むもの
2008-04-23


昨日,光市の事件の被告人に対する死刑判決が出たようですね。

死刑って,法律に基づいて行われるという点を除いて考えると,殺人行為ですよね。殺意も伴ってますし。

刑の執行というのは司法に関連することではありますが,行政に当たります。死刑を求める人たちって,人殺しを行政サービスとして行うことを求めている人たちって言うことになります。

行政サービスというからには,サービスの提供を担当する人がいるわけなんですが,死刑を求める人たちって,他人に人殺しを担当させることについてどう思っているのでしょうか。

公務だから仕方がない?

実際に担当される方がそう思うのはやむを得ないと思うのですが,他人にそのような業務を押しつける側の言う台詞ではないように思います。

私は他人にそんな業務をさせるのは忍びませんし,自分がそんな業務をやるのもいやです。

ところで,行政サービスとしての人殺しを求める人って,どうして出てくるのでしょうか?

被害者遺族の気持ちとして出てくるのは,分からないでもありません。ただ,それが死刑という形でしか癒されないのか,他の代替的手段(カウンセリングなど)で癒されるようにすべきではないのか,という点について,日本の政治過程の中で真剣に検討されるべきように思います。

この点については,約2年前に,破棄差戻判決が捨て去ったものでも述べたように,被害者保護の無策のつけが刑事司法に回されてきているように思います。しかしその後の政策は,被害者を刑事訴訟の一構成要素として取り込むことが中心で進んできてしまっているようで残念です。

他方,ネット界隈やマスメディアで死刑判決が妥当だとか宣っている人たちについては,こうした心情を抱かせるに至っている社会情勢,経済情勢が原因であるように思います。この是正のためには,格差社会の是正による経済的生活の安定を図るしかないのではないでしょうか。この辺りについては心理学の専門家にも分析をお願いしたいところです。

リンク追記(資料) [[死刑FAQ:[URL] ]](村野瀬玲奈の秘書課広報室

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